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ニセモノの自由人にご注意!本当の自由人は『人間らしさとしての5つの自由』を満たした人
あなたの身の回りには、人生を謳歌している『自由人』はいますか?
SNSの流行で、ぱっと見、自由人に見えるような人をよく目にするようになりました。いわゆる『自由人ブランディング』(自由人に見られるような投稿をして、SNSやアメブロなどで集客する)というやつです。
素人目には判別がつかず、騙されてしまいやすいのですが、よくよく観察すると多くの『自称自由人』は、裏ではものすごく仕事に追われてたり(仕事の奴隷)、行動の目的がすべてお金に紐づいていたり(お金の奴隷)するので、観察力を養えば見分けることは可能です。
この記事では、本当の意味で人生を謳歌する自由人、僕の定義では『進化した自由人:リバタリスト』というのですが、そういう人になるために満たすべき、『人間らしさとしての5つの自由』について解説をします。
また、関連の記事も紹介しておきます。
併せて読めば、相当に理解が深まるはずです。
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かなりの情報量を詰め込んでいるので、このページをお気に入りやブックマークに保存し、メモなども取りながらじっくり読み込んでみてください。
また、記事内で紹介されている参考記事も併せて読んでいくと、より理解も深まるかと思います。
では、本題に入っていきましょう。
この記事の目次
そもそも自由とは何か?
『自由人』というものを語るためには、そもそも『自由とは何か?』ということをきちんと押さえておく必要があります。
こちらの記事で『自由』というものについて、がっつりと語っているのでご参照ください。
参考記事:
自由とは何か?自由をデザインする技術を磨けば人生の自由度は上がる
参考記事を読む時間がない方のために、かいつまんで結論だけを言うと、自由とは、束縛や囚われなど、何かからの『逃避』ではなく、自分の信じるもの(信念や信仰)に従って、好きなものを自由に選ぶ、ということで実現するものです。
行動の目的が『自分の信念に沿ったやりたいこと』ではなく、『仕事の都合』や『お金を稼ぐため』になってしまっている人は、真の意味で『自由』とは言えない、と言うことです。
『自由人』のふりをする『不自由人』が多い
僕は現在、好きなときに好きな場所で、好きな人と一緒に好きなことをやる、ただそれだけで、会社員時代の何十倍もの収入を得ています。
お金にも人間関係にもとらわれることなく、健康面や将来的なことにも一切『恐れ』がなく、また、自分の好きなことを追求すること(自分の幸せ)が、自分とつながる大切な人たちの幸せにも直結している実感がある、そういうレベルの『自由』を実現しながら生きています。
この辺り、自分で言ってるだけではあまり説得力がないと思います。なので僕が普段、どういう日常を送っているのか、どういうことを考えて生きているのか、は、こちらのFacebook個人アカウントを観て頂けば、よく伝わるんじゃないか、と思います。
Facebook個人ページ
⇒ https://libertyze.net/l/facebook_satori.b.html
(友だちが増え過ぎてるので、基本、友達承認は、僕のクライアントやメルマガの読者の方のみとさせて頂いてます。まずはフォローしてタイムラインを覗いてみてください)
僕はFacebookの個人アカウントは『ビジネス用』と考えていないので、集客目的の投稿ではなく、赤裸々にプライベートを晒すような投稿ばかりしています。
ビジネスの集客目的でFacebookをやってるワケじゃないので、友達としてつながるのは、僕の他のメディアですでに僕のことを知ってくれていて、丁寧なメッセージと一緒に友達申請を送ってくれる方か、オフラインで実際に会ったことのある友人だけ、としています。
なので、Facebookでは『素の自分』を晒すことができるんです。後述している『5つの自由』を体現しながら生きている、ってことがよくわかってもらえるはずです。
世の中、『自由』というものを掲げて、『自由になりましょう!』と声高に叫ぶ人は多いですが、僕の見るところ、僕と同じレベルで『自由』というものをしっかりと定義して、それを実現するための方法論を確立しているという人は、まずいません。
そもそも、『自由』という言葉は、あまりにも抽象的でフワフワしているので、言葉の響きだけを気に入って、安易に使ってしまっている人がほとんどだという印象です。
よくあるのが、『自由になりましょう!』と言って、結局、お金の稼ぎ方など、ビジネス的な情報発信だけに終始してしまっているというパターンです。これは、ビジネス系の発信者に多いですね。
反対に、『心の豊かさこそが自由だ!』という論調で、フワフワとした言葉で、自分自身の心をごまかすテクニックばかりに終始して、肝心の『現実』はちっとも自由になっていかない、というパターン(自己啓発やスピリチュアル系の発信者に多い)もあります。
人間らしさとしての5つの自由とは?
あなたはどうでしょう??
あなたにとっての『自由』って一体何だと思いますか?
ここで、僕の『自由』観を押しつけるつもりはないのですが、参考までに、僕自身が実現している『自由』がどんなものなのかを語っていこうと思います。
まず、僕は、現代(21世紀)という時代背景の中で、『人間らしさとしての自由』を実現するために、必要な要素は5つあると考えています。
わざわざ『人間らしさとしての自由』と書いたのは、もちろん理由があって、動物や赤ちゃんのように、『とらわれない』『縛られない』という意味での『自由:Freedom』であれば、そんなに話はムズカしくないんです。
人間を辞めちゃえばいいワケですからね。
何もムズカしいことを考えず、人間として与えられた理性というものを捨てて、動物のように、本能のおもむくままに生きれば、それはそれで『自由』の一つのカタチなんです。
でも、せっかく人間として生まれたのに、そういう生き方をするのはもったいない、と思いませんか?
そんな生き方では、人が生み出した数々の素晴らしいもの、文明や芸術、文化といったものを、一切楽しむことはできないんです。人が人として生まれたからには、『人間らしさとしての自由』を追求して、それを実現することこそが、人としての幸せだ、と、僕は思ってます。
それが、人に与えられた『理性』というものを駆使して実現できる、次の5つの自由です。
・お金の自由
・健康の自由
・人間関係の自由
・自己実現の自由
・運命・カルマからの自由
人間らしさとしての5つの自由
スマホなどで動画が再生されない人は
お金の自由
まず一つ目が、『お金の自由』です。
僕が大学を卒業した頃は、就職氷河期の真っ盛りで、就職活動に失敗し(まあ、やる気がなかったとも言えます)フリーターをしたこともありますし、その後も、非正規雇用の準社員をやってて、リストラされたこともあります。
その後もフラフラと安定しない生活を続け、ようやく就職した会社も、安月給の割に要求される責任は大きく、結果、『仕事の奴隷』となってうつ病の一歩手前までいったこともあります。
また、そこから抜け出すために、投資の勉強や実践を始めたものの、うまく結果も出ず、ただただ借金を重ねていったりと、『お金の自由』とはほど遠い生活を送っていました。
まあ、これはこれでいろいろと勉強になったし、『成長』もあったので、今から振り返ると良かったとは思ってるんですが、当時は、毎月のキャッシュフローもカツカツで、カードの支払日が近づくことに怯えながら生きていました。
そういう生活をしていたところから一転して、前述もした通り、僕は今、好きなときに好きな場所で、好きな人と一緒に好きなことをやるだけで、会社員時代の何十倍もの収入を得ることができています。
月収でいえば、数百万円というレベルですね。それだけの収入を、ほぼ自動で生み出すしくみをもっています。
また、同時に、それ以上に要り用のお金があれば、必要に応じてビジネスオファーを出し、必要なだけの金額を創り出すこともできます。少し前のことで言えば、遊びを楽しむように、友人たちとビジネスのプロジェクトを立ち上げて、3500万円ほどの収入を生み出しました。
必要なときに、必要なお金を生み出せるようになると、『お金のブロック』が完全になくなります。つまり、今の僕は、『生きていくためにお金を稼がないといけない』という観念から、完全に解放されて生きているんです。
買い物や食事に出かけたときに、値札を気にすることはほとんどなくなりましたし、財布の中身ではなく、自分の心が求めるものを自由に買う、ということが当たり前の習慣になっています。
毎月のクレジットカードや諸々の支払いのことを考えても、心が締め付けられることもなく、経済関連の不穏なニュースを聞いても、本当に心穏やかでいることができます。
生活の糧を稼ぐために、やりたくもない仕事をやったり、好きになれない人と、仕事上の関係を持つ必要もありません。お金のために、何かを我慢することもなければ、お金を失ってしまったらどうしよう、なんて不安や恐れもすっかり消えてなくなりました。
また、お金から心が解放されていることによって、時間も自分の好きなように自由に使えるし、一日をどこで過ごすのか?ということも、自分で自由に選べるようになりました。
ユダヤ人の格言で、『身体は心に依存している。そして心は財布に依存している』という言葉がありますが、これは一つの真理で、たとえば、アメリカの統計で、夫婦喧嘩や離婚の原因でもっとも大きな割合を占めるのが、『お金の問題』『経済的な問題』だという事実もあったりします。
建て前や理想論は抜きにして、『お金』というものから解放されることで、人は『自由』な生き方に近づける、というのは、否定しようのない事実だと思います。
これが、僕が実現している一つ目の『自由』です。数年前まで、借金生活に喘いでいたところから、自分自身の『理論』に基づいて行動して、実現することのできた『自由』です。
お金と時間と幸福について考えてみた
スマホなどで動画が再生できない人は
健康の自由
そして、次に、『健康の自由』があります。
健康に関しても、かつての僕は、とても『自由』とは言えず、常に不安を抱えて生きる毎日でした。
自分が健康的な生活をしているとは思えなかったし、ストレスのある日常の中で、何か自分でも知らないうちに、身体の中で何らかの病気が進行しているんじゃないか、という、言いようのない『恐れ』をぼんやりと抱えながら生きてました。
原因不明の偏頭痛や群発頭痛に時折悩まされ、一時期、肩こりで左手が上がらなくなったこともありました。
また、慢性的に不眠症で、ベッドに入っても、なかなか眠りにつけず、朝方、空が白んでくるまで悶々と過ごすこともよくありました。
それが今はどうでしょう。
FacebookやブログやYouTubeなど、僕はすべてのメディアで実名と素顔を公開しているので、見てもらえばわかると思いますが、僕は実年齢よりもはるかに若く見られます。
1976年3月29日生まれなので、あえて世間の『常識』的な表現をすれば、もう『おじさん』と呼ばれてもおかしくないような世代にも関わらず、基本的に、僕と会った人は、ほぼ全員、僕のことを20代後半〜30代前半くらいに見てくれます。
実はこれも、僕が意図的に実現していることなんです。
見た目的なことだけでなく、今の僕の肉体的な年齢は、学生時代の頃よりも若返っています(体組成計で測っても実年齢マイナス15歳ほど)。体重もピーク時よりも5キロほど少なくなって、それをずっと維持し続けてますし、筋量も増えています。なにより、ものすごく健康体なんです。
基本的に、体調を崩すことなんてほとんどなくて、ちょっとした風邪をひくのも、年に1回あるかないかで、毎晩のように仲間たちと語り明かして深酒しても、翌日、二日酔いになることもないし、数年前まで悩まされていた頭痛や肩こりも、最近は一切なくなりました。
これも、『たまたま』そうなっているワケではなく、僕自身の意志によって、『意図的』に実現していることです。僕は自分のことを『おじさん』だとか、『もう若くない』なんて思ったことは一度もありませんし、精神年齢も、その辺の10代20代の人たちよりもよっぽど若い、って心の底から思ってます。
人間の肉体年齢の限界だと言われる150歳くらいまで生きてみよう、ってことを、かなり本気で思ってます。
思ってるだけでなく、そのために必要な知識もつけてるし、『あと100年以上付き合っていく予定』の自分の身体のケアやメンテナンスも、十分に心を込めて行っています。
最近は、人工知能の進化(シンギュラリティ)によって、医療技術の発展に革新が起こることを予見しているので、寿命のゴールイメージは300歳くらいにまで伸びています。300年も生きたら、その時代には『死なない』技術も確立されているだろうから、実質的には、どこまでも生き続けて人生が続いていく、という前提を持って生きています。
病気というものがどうやって生まれてくるのか、そのメカニズムも完全に理解しているので、そもそも、自分の身体の中で、自分が知らないうちに病気が生まれ、進行しているんじゃないか?といった不安や恐れからも、完全に解放されてるんです。
そのおかげで、僕は今の自由な生活を、体調に悩まされることなく、100%楽しめています。
サトリの肉体年齢が20代をキープする理由
https://youtu.be/-EULWskNatA?t=18
スマホなどで動画が再生されない人は
人間関係の自由
そして、僕が実現している3つ目の自由は、『人間関係の自由』です。
かつての僕には、心を開ける、心から信頼できるような友人や仲間は一人もおらず、会社での人付き合いも、表面的な関係ばかりで、また、ウマの合わない上司や同僚、部下との関わり、無理難題を突きつけてくる顧客といった人たちに囲まれて、ストレスを溜め込むような毎日でした。
会社員時代はずっと彼女(恋愛パートナー)もおらず、『自分を必要としてくれる人なんていないんじゃないか』というぼんやりとした孤独感や恐怖を心の底に抱えながら生きていました。
参考記事:
ずっと、必要とされたかった 心の在り方が変わると、世界が変わって見える
そこから時を経て、今の僕は、完全に、自分が関わりたいと思っている人だけと関わる生き方をしています。人間関係からくるストレスといったものからも、完全に解放された生き方を実現しています。
毎日、僕は、自分が大切にしたい人たちだけと関わり、また、関わりたいと思う人とだけ、新たに接点をもち、自分が憧れ、ワクワクするような人たちだけと、実際に会って、楽しく交流しているんです。
ごく稀に、自分と価値観や考え方、フィーリングの合わない人が、僕の現実の中に現れることもありますが、そういう人たちとはそれ以上深く関わらない、ということを選択できる『自由』が僕にはあります。
僕のように、インターネットのメディアで多くの人たちと向き合って、情報発信している人たちは、多数の人たちを相手にしてるんだから、ある程度の批判的な声を受けることは避けられないことだ、なんてことをよく言います。
人からネガティブな反応を受けることを逆手にとって、『炎上マーケティング』なんてことをやる人もいますが、僕からすれば、わざわざそんなにストレスを受けるようなことをやるのは、健康に良くないし、やる意味がわかりません。
僕の中では、自分の健康の価値 > お金の価値、なので心身の健康のリスクを冒してまでお金稼ぎをすることは、自分を安売りしたり、大切にしていないのと同じことだと思っています。
僕の場合、Facebookやブログを見てもらえばわかると思いますが、基本的に、批判的なコメントやメッセージ、メールなどが送られてくる確率は、ほとんどゼロに近かったりします。
ビジネスのクレーム率も、ほぼゼロと言う数字です。
そういう余計なストレスを受けるようなこと自体、僕の『現実』の中には入ってこないんです。
もちろん、僕自身に、多くの人と深い信頼関係を築くことのできる『スキル』が身についている、というのも大きなポイントです。でも、僕はそれを、自分の『理論』に基づいて行動した結果、学んで身につけたんです。
僕はそうやって、人間関係をデザインする『理論』を自分の中で確立して、その通りに行動してきたので、会社の中で、価値観の合わない上司や同僚に話を合わせながら過ごすこともなく、話の通じない理不尽な顧客を相手にする必要もありません。
自分の足を引っ張るような悪友たちにつかまることもなく、自分から何かを奪おうとして近づいてくる人たちを相手にする必要もなく、ネットの世界でも、誹謗中傷や批判的なコメントに悩まされることもほとんどありません。
100%自分が関わりたいと思う人たちだけに囲まれる現実の中に生きることができているんです。これもまた、自分の意図した通りにデザインした現実だということですね。
自己実現の自由
そして、僕が実現している4つ目の自由ですが、これは『自己実現の自由』と表現できます。
会社員や学生時代の頃の僕は、自分がこの人生で何をなすべきなのか、なんてことはさっぱり観えなかったし、自分なんて、誰からも必要とされてないんじゃないか、という不安、恐れを、常に心の隅に抱きながら生きていました。
また、インターネットや本の中で誰かが言っている、『好きなことを好きにやる』みたいな生き方に対しても、『そんな都合のいい生き方ができるワケない!』と、勝手に決めつけて、夢のない、つまらない生き方を自分で選択していたんです。
月曜から土曜まで毎日職場と家との往復で、楽しみはGWや夏冬など、たまにある連休だけです。
かと言って、連休中も無気力に自宅に引きこもって、『自分の人生、このままでいいんだろうか?』という思いをぼんやりと抱えながら、それでも、目に観える明確な何かの行動を起こすことなく、ただただ毎日を『浪費』して過ごしていたんです。
これを書いていて改めて思いましたが、まさに、『自分の人生を生きてない』状態で過ごしていたワケですね。
それが今、僕は毎日、自分の心に正直に、誠実に、好きなことを好きにやる、ということに集中しています。遊びも仕事も自分の心が求めるままに『好きなこと』『やりたいこと』だけを選択します。
『あの人に気を使って』とか『お金が必要だから』という意識で仕事をするのではなく、その場その場のインスピレーションで『これをやりたい』と思ったことをカタチにすれば、それがビジネスにもなって、好奇心や興味を満たし、楽しむことと、結果的にお金が儲かるということが両立しています。
そういう仕事の仕方をしているので、時間に追われたり、自分で自分を忙しくする、という状況に陥ることもなく、美人の奥さんやかわいい飼いネコたち(名前は空海と最澄です)との生活を、ゆとりを持って楽しみながら、自分が好きなことをやるのに十分すぎるほどの収入が得られています。
そして、不思議なことに、僕個人の『好きなこと』が同時に、自分の周りにいる人たちが、自分に対して『求めること』と一致しているんです。僕という存在が、いまここにある肉体や心だけではなく、日常的に現実の中で関わる人たちがすべて僕の一部となっているような、そういうシンクロした感覚を持って生きています。
運命共同体、のような言葉を使ってもいいですね。
たとえば、僕自身が内から発する情熱に従って、自分の言いたいことを発信すると、僕の周りにいる人たちが、『そういうものを求めていた!』って喜んでくれるんです。あらかじめ相談するワケでもなく、自然と共有されている感覚でこれが実現しています。
これは、ちょっと言葉を変えると、自分が好きなことを追求すること、つまり、『自分らしさ』を表現することが、『自分が生きる世界:宇宙』から認め、許され、受け容れられる、という意味での『自由』だと言えます。
これももちろん、僕自身が意図的に実現させた『自由』なんです。
こうなるために必要なことも全部わかった上で、自分自身の身を実験台にして、その考えが正しい、ということを実証済みだということです。
これも、学生時代や会社員時代に『ここが自分の本当の居場所じゃない』とか、『自分は他人から認められていない』と、悶々として過ごしていたところから、自分自身の『理論』に従って行動した結果に、手に入れることのできた『自由』だと言えます。
参考記事:
好きなことを仕事にして、精神的にも物質的にも豊かになるために最優先で学ぶべきこと
参考記事:
インターネット上ではどうやって自分を表現すべきか? 匿名でいくのか、本名でいくのか、裏垢は必要?
運命・カルマからの自由
そして、人間らしさとしての自由の最後の一つは、『運命、カルマからの自由』です。
かつての僕には、運命やカルマ、という目に観えないものに対する、言いようのない『恐れ』も常にありました。
しょせん、人生なんて、『運の良さ』で決まってしまうんじゃないか。
自分は、大した星のもとに生まれたんじゃない。
これからがんばったところで、行く末はたかが知れてる。
自分は、何者にもなれずに、このまま齢をとっていくだけなんじゃないか。。。
また、自分がいつ、どんな天災や事故、天変地異に巻き込まれてしまうのか?という恐れもありましたし、突然、原因不明の難病にかかってしまうんじゃないか?という恐れや不安もありました。
そういった、運命やカルマ、生まれる前から定められた『宿命』といったものに、自分の人生は、自分のコントロールの効かない部分で、いつの間にか、勝手に決められているんじゃないか?という恐れを抱えながら生きていました。
若干の誇張はありますが、でも、数年前の僕は、表面上は前向きに生きているように見せかけて、心の奥には、こういう『恐れ』や『不安』を抱え込んだまま生きていた、というのが事実です。
世間一般的には、どんなに品行方正で正しく生きても、努力して善行を重ねても、運命やカルマ、突如訪れる『不運』というものからは逃れることはできない、と考えられています。
でも、僕はそうじゃないことに気づいたんです。
一部の方だけに配信している特別なメルマガの中で語ったこともありますが、僕は2011年の3月、僕自身が『カルマの燃焼』と呼ぶ、いわゆる受難の時期の経験を経て、自分自身の存在の本質を知りました。
いわゆる、『意識の覚醒』というものを経験したんです。
もっと平たく言えば、『悟り』を開いた、ということです。
こういう発言を見て、『そんなことを自分で言うなんて不敵だ』と感じる方もいるかもしれませんが、これに関しては、その後、僕の人生に押し寄せた怒濤の変化によって、この経験が単なる『妄想』や『思い込み』でなかったことが証明された、と思ってます。
もちろん、悟ったか悟ってないか、なんてことは、外からとやかく言うことでもないので、その部分の議論はここで改めてするつもりはありません。
大事なのは、その経験によって、僕は人生における大切な『気づき』を得ることができて、その経験を生かし始めたら、僕の人生が大きく好転し出した、という『事実』の部分だと思います。
僕がここで悟ったのは、運命やカルマなど、多くの人が『避けられないもの』と考えるものですら、人間が本来持って生まれた『可能性』というものを、縛りつけることはできない、ということです。
もっと単純に言えば、運命もカルマも変えられるものだ、ということです。
こういうことを言うと、宗教やスピリチュアルにハマった一部の人たちからは、『神をも畏れぬ不遜なやつ』とかののしられたこともありますが(そういうメールが匿名で届いただけですが(笑))、僕は単に、『人生で何を信じて生きたいのか?』というだけのことだと思ってます。
神さまや運命やカルマなど、言葉は何でもいいのですが、そういう『避けられないもの』『変えられないもの』に縛られて生きるような、そういう『受け身』な生き方をしたい人は、そうすればイイと思ってます。
でも、僕は、本当に尊重し、崇拝すべきなのは、自分自身の中にある、すべての人間に等しく与えられた『可能性』というものなんだ、って考えています。
実際、僕は自分の信念に基づいて生きてきて、自分のカルマや運命を変えた人にも出会ってきましたし、もちろん、僕自身のカルマや運命も、自分の望む通りに変えてきたという実感があります。
シンクロニシティや引き寄せなんてものも、意図的に、日常的に普通に起こせてますし、偶然というものを味方につけて、人からうらやまれるような生き方をしています。
この部分に関しては、スピリチュアル的なことに本質的な理解が伴っていないとムズカしい部分もあるので、本当にそんなことが可能なのか、信じる、信じない、は、現時点ではこれを読んでいるあなたに委ねたいと思います。
参考記事:
オカルトや迷信的なスピリチュアル、カルト宗教的な盲信、無自覚な無知が、人間の可能性を奪っている
運命や宿命を呪いにしないために
スマホなどで動画が再生されない人は
すべての人生経験は自分の望む通りに創造できる
https://youtu.be/Ol0I1yPoNYc
スマホなどで動画が再生されない人は
自由をデザインする技術
さて、ここまで語ってきた5つの自由、
・お金の自由
・健康の自由
・人間関係の自由
・自己実現の自由
・運命・カルマからの自由
というのが、僕自身が実現していて、しかも、僕がその実践方法を具体的に指導することのできる自由です。
冒頭にも書きましたが、世の中に『自由』という言葉はありふれていますが、果たして、この5つの自由をすべて実現できている人はどのくらいいるでしょうか??
一見、自由に観えるけど、実は何かに縛られている、という人がほとんどではないでしょうか??
たとえば、若くして成功しているネット起業家たちは、僕の見るところ、お金や自己実現、人間関係あたりまでは自由になっているものの、若さにまかせた暴飲暴食や不規則な生活によって、『健康の自由』を損なっていたりします。
結果、自分の健康が損なわれることや、老いや衰えに対する不安や恐れに心をとらわれます。
『運命、カルマからの自由』に関して言えば、これを実現している人なんて、ホントにごく少数しかいない、ということができるでしょう。
スピリチュアルな発信や活動をしているのに、その魂は、運命やカルマという『思い込み』に縛られてしまっている、なんて人はたくさんいます。
スピリチュアル業界には、不幸そうな顔をして生きていたり、お金や名声欲、他人を支配したい自分の煩悩の奴隷として生きている人がたくさんいます。
最初に書いた通り、僕がこの『自由をデザインする技術』というテーマで情報発信する目的は、僕と同じように自由を楽しめる人、『人間らしさとしての自由』を実現して、人生で幸せに成功できる人間を増やして、そういう人たちと、『仲間』として深く人生レベルで関わっていきたい、ということです。
参考記事:
なので、この場では、ブログという媒体で伝えられる最大限のレベルで、僕の理解していることをお伝えしていくことができれば、と考えています。
ただ、一つ、お断りしておくと、僕はあくまで、『現実的』な人間です。これを読んでくれているあなたの現実が、本当に変わっていかなければ、まったく意味がない、と考えています。
今のように、自由な生き方を実現する前は、教育業界に10年以上身を置いていたので、単に知識を与えるだけでは、相手の人生に変化は起こせない、ということは、十分に実感しています。
なので、あなたにも、『なんとなく』読み流すだけ、というのはやめて、『本気』でブログやメルマガを読むことを通して、僕と向き合ってほしいと思ってます。
そういう意識でこの先も僕の発信とお付き合いいただけるとうれしいです。
意識レベルを高めるセルフコーチング
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コメント
- 2019年 8月14日
- 2019年 8月14日
リバタリスト、ディレッタントの生き方大賛成です
そんな生き方を目指して日々過ごしていきます
その道以外考えられれません。
リバタリスト、ディレッタントな生き方
そうなりたいです!